ものや情報が溢れている現代。たくさん持てば豊かになると考えられていた時代から、どうやらそうでもないようだ。と多くの人が感じるようになりました。
昔から伝えられてきた禅の言葉には、シンプルに暮らすヒントがたくさん。普段、手放すことが苦手だと感じる方も、禅の考え方に触れることで少し肩の力が抜けるかもしれません。今回は整理収納アドバイザーの目線から、手放しに関する禅語を4つ紹介します。
- 岸上 のぞみ 整理収納アドバイザー/ルームスタイリスト
- 3階建て2階リビングの建売のお家で、夫と息子と私の3人、時々保護猫と暮らしています。ノウハウだけでなく、自分の心の声や感覚に気づき行動することを大切にしたお片づけレッスンなどを開催。
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webサイト:日々柔-hibinew-
下載清風(あさいのせいふう)
手放すことで、心は軽くなる
重たい荷物を下ろした船は、軽快に風を受けて進んでいくという意味。見栄や物欲といった、心の荷物を下ろすことです。
「比べず、とらわれず、生きる」|枡野 俊明
部屋に物が増え散らかってくると、気持ちまで重くなってくるように感じますよね。収納スペースに長年ぎゅうぎゅうに押し込まれたものは、精神的にはずっと背負っているようなもの。そろそろ荷物を下ろして歩いていくことを、自分に許してあげても良いかもしれませんよ。
喜捨(きしゃ)
執着心を 漂う雲のように 受け流す
お寺や神社でお参りをするとき、お賽銭を投げ入れます。これを喜捨する、と言います。お賽銭を投げ入れることを意味しているのではなく、心に抱えている執着心やこだわりを捨てることを意味しているのです。
「比べず、とらわれず、生きる」|枡野 俊明
何十年と生きていると、なんの執着心も無いという人はほとんどいないのではないでしょうか。そのくらい人にとって執着というのは身近で、捨てるのはなかなか難しいですよね。まずは自分で「これは執着だ。」と気づくだけでも良いと思います。
お賽銭を投げ入れるとき「嫌だな」「もったいないな」と感じる人は少ないと思います。ものを手放すことに抵抗を感じたとき、「これはお賽銭だ」と考えるのも良いかもしれませんね。
無縄自縛(むじょうじばく)
あなたを縛っているのは、あなた自身
自分のことを縛っている縄など存在しない。自分を縛っているのは、ただ自らの思い込みに過ぎない。それをほどくことは、自分自身にしかできないのです。
「比べず、とらわれず、生きる」|枡野 俊明
思い込みもまた、ほとんどの人が持っているもの。厄介なのは、多くの場合それが思い込みだと自分で気がついていないことです。「◯◯するべき」「◯◯でなければならない」こういった考えも、一例にすぎませんが思い込みであることが多いです。片付けでものと向き合うことは、自分が持っている思い込みに気づくきっかけにもなります。
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
誰も、何も、もってはいない
人間はこの世に生まれてくるとき、何ももっていません。「物」だけでなく、邪な心さえももっていない。嫉妬心もなければ執着心もない。本当に純粋な心で、この世に生まれてくるのです。
「比べず、とらわれず、生きる」|枡野 俊明
上記で紹介した執着や思い込みは、生まれた瞬間には存在しなかったもの。新生児がどこか神聖に感じるのは、そのせいかもしれませんね。何十年と生きてきた私たちにはすべてを手放すのは難しくても、元々は何ももっていなくても愛される存在だったと自覚するだけで、「手放す」という選択に対してどこか安心できる気がします。
納得して手放すために
ものを手放すときに一番大事だと感じるのは、自分が納得していること。減らしたいけど手放せない。と感じている方も、案外些細なきっかけで腑に落ちるタイミングがやってくるはずです。
同じ言葉でも発する人やニュアンスによって受け取り方も変わるもの。「なんかいいな」と感じる人や空間や考え方に日頃から触れておくことも大切にしたいですね。